初日を終えて

東海道新幹線車中です。

東海道新幹線て、座席は固いけどいつも空いてるから良いよね。

名古屋に向かっております。

名古屋公演を観る前に7月の備忘録でも書いておきます。

 

 

思えば、この3ヶ月は早かったなあ…

今まで関ジャニ∞に対して抱いたことのない感情もあったし、会見直後はエイトを聴くことすら観ることすら出来ないくらいだった。

 

 

6月にベストアルバムが出るって言うのに、何も番宣がなくてああこのままフェードアウトしていくのかなってぼんやり思ってた。

どんな事務所でも、『解散』ならまだしも『退所』に関しては寛容でないことはわかってたし。そのままぬるっとツアー始まるんだろうな、もう7人で歌う姿は観られないんだろうなって思ってた。

 

6月末、7人での関ジャニ∞生放送番組出演が次々告げられた。

最終日は7月8日。その前日、前々日も生放送で、最後の日まで3日連続生放送らしい、と。

 

正直、ちょっと驚いた。

最初は番組側の話題作りかなって一瞬過ったけど(これまでのMUSIC DAYの扱いを思えば致し方無い)、ジャニーズのアイドルで、世間からしたらグループから一人が抜ける『だけ』の事でこんなに取り上げてくれるんだ、って嬉しかった。

デビューして数年間MステSPに呼んでもらえなかったグループとは思えないくらいに。

 

 

Mステが発表され、MUSIC DAYの出演も発表された。そして、ほんとの最終日は、関ジャム史上初の生放送。ゲストはなく、メンバー全員と古田新太と宇賀アナウンサーのみとのこと。

関ジャムでの関ジャニ∞特集は念願だったが、このタイミングで叶ったのは皮肉だなーと思った。

 

番協も発表され、当然客を入れてライブ形式をしないMステ最後は落選した。そりゃそうだよねーって思ってたら、まさかのダメ元で申込んでたMUSIC DAYが当選してしまい、友人に泣きながら電話した。

私が最後に関ジャニ∞7人を観られるのは2018年7月7日、これまた皮肉にも、10年前の2008年7月7日は東京ドームで彼らのコンサートを観ていた日だった。

 

そんな最中に安田の病気が告げられた。

言い方が悪いが、何でこんなに真摯にアイドルに向き合ってる人たちにこんな試練が課されるんだろうって思った。

『神様は、試練を乗り越えられる人にしか試練を課さないのよ』みたいな言葉を昔聞いたけど、いや神様分量間違えとるやろって思うくらいに。

 

いつかの新年会で、大倉くんがこんなことを言ってた。

『僕らのグループは上がったと思ったら下がったりで。今がこう(下がってるとき)なら、やっぱりそれは何が足りないのか分析しなきゃいけない』

と。

じゃあ、今が関ジャニ∞にとって死ぬほどドン底なら、もうこれは上がっていくしか無いんじゃない?って、私の中の村上信五がちょっとだけポジティブになって、とりあえず絵馬を書いてきた(結局神頼み)

 

 

 

生放送一発目、信頼と実績のテレビ朝日ミュージックステーション。

正直、関ジャムの事がまだ公表されてないとき、私は最後はMステが良いと思っていた。

だって、多分私も含め世間が『渋谷すばる』を見つけた瞬間は、当時のMステだと思ってたから。

 

案の定、MステはここぞとばかりにJr.の映像を出してきた。

某汐留のアナウンサーがツイートしてたが、ほんと当時はあの番組の翌日(は土曜日だから、厳密には月曜日)はクラスがとんでもなく盛り上がっていた。

もともとジャニーズ好きが多かったクラスなので、会話はMステ一辺倒だったし、ほんとSNSもない時代に新しい風が吹いた瞬間だった。

 

そんなことはさておき、珍しくMステは一曲目。がむしゃら行進曲。やっぱり安田は、上半身をやっとダンスできるかって感じだったけど、フォーメーションとか色々メンバーも考えた感じが伝わってきて、これに関しては微笑ましく観ていた。

 

余談だが、モンテクリスト真海ことおディーン様が一緒だったのはちょっと嬉しかった。幸男ちゃんとの話もちょっと聞けたし。相変わらず自担はすぐ寝る。

 

そして、最後はNOROSHI。

『手のひらが背に触れた』

のあのキメ台詞をこんな熱量で引き付けられる人っているのかなって位、 すばるにしか歌えない歌詞だと思ってた。

 

Mステ初披露の時、和装で演奏したNOROSHIは、大サビ引きの映像で7色の狼煙が上がっていた。

Mステ最後の時、スーツで演奏したNOROSHIは、大サビ引きの映像で『関ジャニ∞』の垂れ幕と真っ赤な照明に照らされて、本当に本当にかっこよかった。

 

 

 

生放送二発目は、不安しかないMUSIC DAY

番協行っといてあれだが、関ジャニ∞と日テレはあまり相性が良くないと思う。

でも、今回の曲はオモイダマ。多分大丈夫だろう、とちょっと安心した。

 

オモイダマは、十祭で聴いてから物凄く大好きな曲で、それを最後に生で観られるのが本当に嬉しかったし、本当に悲しかった。

 

大サビ部分、いつからかな、すばるが叫ぶように歌わなくなったのは。

エイタメ辺りからは歌わなかったように思う。あの熱量が大好きだったから、ちょっぴり悲しかった。

が、MUSIC DAYで披露したオモイダマは、ちゃんとそこで叫んでくれた。

正直、エイトが出てきた瞬間から終わりを考えてしまって涙が止まらなくて、まわりもエイターが多かったから連鎖で泣けてきてたんだけど、そこだけはしっかり聞けた。

 

帰宅してから番組を確認したら、最後映ってない部分があったので補足させていただく。

歌い終わって拍手が鳴り止まなく、ほんとに鳴り止まなかった。テレビでも大倉くんが『ん?』って顔してたけど、なんかあの拍手は司会の人たちも促せなかった気がする。

で、同じ年で長年切磋琢磨してきた翔くんが、『もう一度関ジャニ∞に大きな拍手を!』って言ってくれて、また拍手が大きくなった。みんなペコペコしながら(小物感)はけていった中、最後の最後まで会場に手を挙げて頭を下げていたのは、渋谷すばるだった。

これが、私が生で見た関ジャニ∞渋谷すばるの最後だった。

 

 

最後の7人での生放送。

正直、関ジャムがここまでしてくれるとは思わなかった。

番組前半はメンバーの思い出のセッションを振り替える。という口実で、強火すばる担の方々の『僕とすばるくんの思い出の曲』達だった。

特に印象的だったのは亮ちゃんの選んだビートルズ回と、大倉くんの選んだビートルズback numberとの回。

皆までは言わないが、亮ちゃんはすばると自分をジョンとポールに例え、『ずっと二人で歌ってきたから』というコメントを添えた。嗚呼、私たち以上に彼らはツインボーカルを意識して、切磋琢磨してきたんだなあって思ったし、それがこんなことがなければ明かされることも知ることもなかったんだなあと思うと、なんとも切なくなる。

大倉くんは、back numberとのセッションの際にすばると「ヒロイン」を歌ったことについて、『すばるくんと並んで歌うのは2006年以来だったから忘れられない』とコメントした。これもまた、こんなことがなければ明かされることのなかった気持ち。当時私はこのヒロインを聴いて、普段関ジャムでも歌わない大倉くんが歌ったことや曲の良さが大好きで何度も観ていた。

2006年には既に大倉担だったし、2006年に二人が並んで歌ったことだってわかっていたのに、この大倉くんのコメントを聞くまで全く気づかなかったし、私だけでなく多くのファンがそうだったと思う。

すばるにとって、唯一ユニットをしたことがなかったコンビが大倉くんだったけど、その大倉くんだけが唯一すばると一緒にライブをしたメンバーなんだよな。

 

セッションも物凄く熱かった。

スカパラとジャムった無責任ヒーロー

正直、この曲がこれほどまでに歌われるとは発売当時は思いもしなかったし、この曲が10年の時を経て こんなにかっこよくなるなんて思わなかった。

夜遅くまで、ありがとうございました。

 

残りの2曲は、彼らがファンに聴いてほしい曲、とのことで一曲目は予想通りの大阪ロマネスク。

 

私が関ジャニ∞のファンになった当初、一足先にエイターだった友人が「この曲を押さえておけば間違いない」と教えてくれた一曲。

エイトのコンサートに行ったことがない当初、コンサートで一緒にこの手の振りをしたい!と切に願っていた曲だった。

十祭の大阪ロマネスクが凄く印象に残っている。いつファン投票しても不動の一位。

真面目な顔で歌う三馬鹿に対し、笑顔でチョケながら歌う年下組。

この構図が私の大好きな関ジャニ∞なんだよなあって。

 

そして最後の一曲。

関ジャニ∞がファンの、そして自分達のために選んだ本当の本当に最後の曲。

大倉くんも以前ラジオで、「いつもこの曲をかけてしまうけど、やっぱりどんなときもこの曲が自分達の気持ちを代弁してくれる」と話していたLIFE~目の前の向こうへ。

亮ちゃんが事務所の人に直談判し、バンドとして初めて出せた曲。

MVが解禁されたとき、PCで観て、かっこよすぎて泣いたのは後にも先にもあのMVだけ。

2010年大倉くん出演ドラマ「DM~踊れドクター」という未だによく咀嚼できないドラマの主題歌であり、関ジャニ∞初のバンド曲であり、初のドラマ主題歌だった。

ドラマよりなにより、エンディングでLIFEが流れる瞬間緊張して、流れた瞬間嬉しくて泣いたのを記憶しているし、またMステでも初バンドで挑み、こっちがドキドキしながら聞いた曲でもある。

Mステに関しては正直へたっぴだった。本人達の緊張感もあり、音もガチャガチャ。だけどそれ以上に思いが伝わってきた。

後日別番組にて、当日Mステで東京事変として共演されていた亀田誠司さんがこんな話をされていた。

「生の音楽番組って失敗ができないからプロでもアテフリするんだよね。でも関ジャニ∞のみんなは生で演奏していて。俺ら盛り上がっちゃってさあ!林檎さんと『ブラボー!』って立ち上がったよねー!」

歌の良し悪しなら他を聞けばいい。思いが伝わるかなんだよなあって思った、凄く嬉しいコメントだった。

 

いつからだろうね、出だしの「まだまだ終わらないから」を気まずいの二人が外さなくなったのは。

 

最後の演奏前、生放送ということもありコメントもそこそこに演奏が始まった。

 

いつもの演奏場所ではなくトークするスタジオで、関ジャニ∞7人だけの演奏。

心なしか、いつも強めの大倉くんのバスドラがさらに強めに感じた。

 

どの番組でもだけど、すばるは泣きそうで泣かない、を貫いていた。

 

出だしを終え、まるりょのパートになったときに亮ちゃんの様子がおかしかった。

これまで気丈に、強気とも冷たいとも思わせるくらいに気丈に振る舞っていた亮ちゃんが詰まって歌えなくなっていた。

ああ、亮ちゃんもやっと泣けたんだなって安心したと同時に、こんなに長い間肩を並べていた亮ちゃんを泣かせるなんて罪な男だな…と思ったりした。

亮ちゃんが泣いて歌えなくなり、咄嗟に信ちゃんが歌って、もう私の視界はぐちゃぐちゃだった。

リズムキープすべくずっと丸ちゃんを笑顔で見つめた大倉くん、その視線を受け折れそうになりながら笑顔でいた丸ちゃん、しっかり歌って支えた信ちゃんと安田、必死に歌ったヨコ、私がこれまで見た中で一番感情をむき出しにしていた亮ちゃん。みんなが、自分達のため、すばるのために歌っていた。

 

『あの日交わした約束をずっと覚えているから』

 

で、すばるに手を差し伸ばして歌った大倉くん。

きっと、誰にもわからないこの二人の約束があったんだろうなとか、無くても二人にしかわからないこともあるだろうなとか。

今回の公演でも大倉くんは、カメラに手を差し伸ばして歌ってる。

ラジオですばるについて、「最後まで彼から真をくった話を聞くことはできなかった」としたあとで、「でもそれは要らないのかなとか。20年近く一緒にやって来たら、わざわざ言葉にしなくても一緒にいたことが真実なのかなとか」と話していた。

 

『あなたの後ろでドラムを叩くことが大好きでした』

と文面を残した大倉くん。

『どんなに上手いドラマーが居ても、俺の一番好きなドラマーは大倉』

と以前話していたすばる。

今後すばるが音楽活動をするにしてもしないにしても、好きなドラマーに大倉くんの名前が刻まれていたらいいな。

 

 

 

『楽しいことしかなかった。それはみんながいてくれたから』

 

関ジャニ∞で居られたことは僕の人生において最大の誇り』

 

 

そう残したすばるが事務所を辞めるまで、あと5ヶ月。