【関西ジャニーズJr.を牽引する渋谷すばる率いる関ジャニ∞がついにデビュー!!】
小学生?中学生?の頃にすばるが好きだった私は
「うわ〜渋谷すばるってあの渋谷すばる??懐かし…てかまだジャニーズにいたんだ…!?」
と、なんとなく流していたラジオ(ラジオっ子)でなんかどことなくダサく、だけど一度聞いたら忘れられないヘンテコな彼らの名前を知る
これが私と関ジャニ∞の出会い(出会いなだけでまだファンにはならない)
そもそも、これを語るには私とジャニーズとの出会いから話さなければならないのだが、それは遥か遥か遠い昔、小学生まで遡る
私達の時代は、『キンキなら剛と光一どっち派?』みたいな論争が起こるような時代で、これは後の『仁亀どっち派?』に通ずるものがあるな…とジャニーズを思ったりしている
(ここではジャニーズ呼びを許していただきたい)
クラスの大半が金田一少年激推しだったため担任の先生も含めて剛派が圧倒的で、なんかスカしたロン毛(ごめんごめんごめんごめん)の銀狼怪奇ファイル光一派は極少数だった
そんな極少数光一派だった私の友達、"ハタさん"がある日、『森田剛くんっていう人がかっこいい』と言い出した
今思うと、光ちゃんにしろごおくんにしろ、"ハタさん"はロン毛ちょいワル(死語)な人が好みだったのであろう
"ハタさん"に聞いたその『森田剛くん』を見るためにアイドル誌を手にした私、そこで『森田剛くん』の相方であった『三宅健くん』に恋に落ちる
今となってはあまり覚えてもいないし結果論でしかないが、あれはV6デビュー間際だったのか直後だったのかもしれない
2個上の従姉妹が岡田くん担だったこともあり(コンサートでは常にイノッチからファンサ貰ってたらしい)、私は気付かぬうちに健ちゃんのファンになっていた
当時は珍しい3形態ジャケ写違いのCDとか出していたV6
小学生でお金が無いので悩みに悩んで一番健ちゃんがかっこいいCDを買ったりしていた
昔は性格的にちょっとだけ潔癖なところがあったので、CDはレンタルせず購入派だったのだが、今となっては『然るべきところにちゃんとお金を落とす』というなかなかできた子供だったと思う(自画自賛)
時は流れ、たまたま観ていたミュージックステーション
当時は『関東Jr』『関西Jr』という明確なくくりはあまりなく、無かったからこそテレビに出る機会が多い関東Jrの方がよく目にしていたしテレビにも出ていた(ここの格差は今何かと比べ物にならなかった)
いろんな人達がジャニーズの先輩の曲を歌う中、全く知らない曲が流れる
♪〜愛してる愛してない 溺れちゃって〜
衝撃だった
なんかジャニーズっぽくない、めちゃくちゃ顔面が整ったビジュアル系バンドに居そうな人がセンターで歌っていた
『渋谷すばる』というらしい
週明けに前述の"ハタさん"と、「Mステみた!?」「渋谷って人かっこよかったね!」「関西の人なんだって!!」「私タイプかも!(←ハタさん)」という会話をした
そんなこんなで時は流れ、ついにあの瞬間が来る
ご存知、『あぶない放課後』というドラマだ
これは主題歌をV6が(Believe your smile)、主演二宮和也共演渋谷すばるという、私とハタさんのために作られたドラマだった(違うよ)
このドラマを期に、初めて『かけもち』というものを体験する
しかし、当時は田舎の子供だったためアイラブJrも再放送でしか観られず、BSのMUSIC
JUMP(後の少年倶楽部)で何となく彼らの活動を追ったり雑誌を購入することでしか情報を得ることはできなかった
『渋谷すばる』は関西のJrらしく、よく『横山侯隆』や『村上信五』、時には『錦戸亮』とよく映っていた
(後にMyojoで、「横山侯隆は次号より横山裕となります」というページを見て、子供ながらに「…なんそれ」と思っていた)
子供なので複雑なことは分からなかったが、この『錦戸亮』という人はめちゃくちゃ子供に見えたけどどうやら私より年上らしいことは知っていて、『丸山隆平』という人や『安田章大』という人とあともう一人とよく雑誌にも載っていた
私のジャニーズ好きは嵐デビュー後にはもう薄れてきていて、何となくクラスで流行っていたバンドをみんなで聴いたりしていたことで離れていった
時は流れに流れまくって、私はとあるバンドのファンとなる
地元を離れてある程度自由になるお金を手にした学生だったのでライブやフェスにも行きまくっていた
そのバンドは「若くてめちゃくちゃ喋りが上手かった」ため、よくラジオにもお呼ばれしていた
そんな彼らが出演するラジオを聞いていたときに、新譜を紹介するコーナーがあった
【関西ジャニーズJr.を牽引する渋谷すばる率いる関ジャニ∞がついにデビュー!!】
え、
ラジオを聞いていると、どうやらあの頃一緒に居た『横山裕』とか『村上信五』も一緒のグループらしい
私の知らないところで頑張っていたんだな…となんだか懐かしい気持ちになった
その他にもショコラに出ていた『安田章大』やイノッチよりも先にテレビでお前がいるを歌った『丸山隆平』、NEWSでデビューしていた『錦戸亮』やドレミソラに出ていた同じくNEWSの『内博貴』も居るらしい
一人だけ名前が知らない人がいた
NEWSは私が高校?の時とかにデビューしたのかな?
担任がバレーをやってて、なんかバレーの協会とかにも所属してて、山Pを観たことをめちゃくちゃ自慢された記憶がある
ともかく、「へ〜あのときのメンバーがそのまま頑張ってるんだな〜」と思いながらその程度の興味しか当時は持ち合わせていなかった
後になって知ったことだが、私が彼らから離れたタイミング(つまりヲタ離れってやつ?)が、それこそ関西氷河期というか干され期と合致しており、まさに田舎の子供的には目にする機会が奪われたが故のヲタ離れだったんだろう
そしてそんな中、私が推していたそのバンドのメンバーが脱退することになった
2005年のことである
幼馴染がそのメンバーのファンであったため当時はあまり言えずにいたけど、なんかその彼の態度?向き合い方?が私はあまり好きではなく、私の好きなメンバーがいつも気遣ってあげていたのに裏切るようにして辞めたことが許せなかった
悲しみよりも怒りが強かった
そんな思いで、同じく地元から離れて専門に通っていた幼馴染の家で、私を含めそのバンドが好きで仲良くなった友達数人とテレビを観ていた
多分翌日の仙台でのライブに行くために集まったんだったかな?
Mステでは6人から5人へと編成した好きなバンドが、5人で初めてのシングルを披露した
どう考えても抜けた彼のことを歌った曲で、私は怒りとか悲しみとか彼らの辛さとかなんかしんどかったなって記憶している
同じ日のMステには、ジャニーズからも出ていた
関ジャニ∞だった
その場にいた友人の中には古くからのMJ担も居て、まあみんなジャニヲタを子供の頃に通ってきた人達だったのでそのまま好意的に観ていた
「そういえば関ジャニ∞って誰か今休んでるよね?」
「内くんだっけ、頑張っていきまっしょいに出てる」
「そうそう、それこそここの近くのところで〜」
なんて、そんな話をしていた(幼馴染の家が現場と近かった)
彼らも、私の好きなバンドと同様にメンバーが一人欠けた状態での出演にも関わらず、めちゃくちゃ笑顔で明るかった
一人欠けてるなんて思わせないかのような明るさだった
『好きやねん大阪』という、なんちゅータイトルだよって曲を歌っていた(が、私の好きなそのバンドも『お願いセニョリータ』なんて曲を歌ってたのでそこまでのイロモノ感をおぼえていなかった)
『好きやねん大阪』には、自己紹介みたいなパートがあった
やっぱ渋谷すばるってかっこいいな〜と思いながら、一人だけ全く知らない人が目に飛び込んできた
顔面がめっっっっっっっっっちゃくちゃにタイプで、ジャニーズにこんなひといた!?は??誰???は!??となり、横にいたMJ担に
「今横山の隣りにいたイケメン誰!?」
って話しかけた
「あ〜なんだっけ…おおくらくん?下の名前がわからないけどなんかおじいちゃんみたいだな古風な名前だったはず!かっこいいよね、ふみ好きそう〜(笑)」
2005年9月2日の出来事だった
あの時『錦戸亮』とかと一緒に写っていた少年、ラジオから流れてきたデビューのお知らせで一人だけ名前知らなかったその人が、『大倉忠義』だった
ここから、私の二度目のジャニヲタ人生が動き始めた
子供の頃と違ってある程度自由になるお金も増えた
昔は吟味して一冊しか買えなかったアイドル誌も、高くて親にねだって買ってもらってたMyojoも買える年になっていた
はまるには申し分無いタイミングだった
学校ではみんな赤西派か亀梨派かみたいな話をしていたが、私は夢中になって関ジャニ∞のDVDを観ていた(ちなみにその二人なら私は赤西派だった 黒沢くんℒℴ𝓋ℯ)
あの頃はまだ、『関ジャニ∞』の名前を知る…というか誰がいるか知らない人も多かったように思う
当時若くて情報の最前線に居たような同世代でさえ、なんかあまりピンときていなかった
それからの日々は長くなるのでまたいつかの機会に…
そんな彼らの名前に、『関ジャニ∞』としての人生に今日ピリオドを打つ
関西というだけで理不尽なことが多かったJr時代
同時期にデビューしたグループがめちゃくちゃ華々しくて、なんか別ルートを歩むようにけもの道を走り続けていたデビュー直後
デビュー3年目に47都道府県をまわるツアーもした
『関ジャニ∞』の名前を、世間に『関ジャニ』と呼ばれるまで有名にしたのは紛れもなく彼らの並々ならぬ努力と、精神力と、お世話になった人達への感謝の気持だったと思う
何度も永遠を夢見ては打ちのめされて、また永遠を願ってしまった
でも、自分達の長年付き合ってきた名前を、必死に有名にした名前を手放してでも、それでもなお5人でまたイチから歩み続ける道を選んでくれた
この先に何があるのかもわからない
もしかしたら長くは続かないのかもしれない
だけど、私には『倒れるときは前のめりに全員で』『次は全員で閉じよう』、そして、大倉くんからもらった数々のお守りのような言葉がある
昨日、ようやくロッキンの映像を観ていたが、きっと彼らはまたこんなことを言うんだろうな
『この年になると経験したことのないもののほうが多くなる』
『だからこうして新しいことに挑戦させていただける機会がありがたい』
関ジャニ∞第四章 2024年2月4日 始動ー